世界は意味づけでできている
- a0218m
- 4月22日
- 読了時間: 5分
更新日:4月25日
みなさんは、大学で受けた講義の内容を覚えていますか?
私はありがたいことに、自分が選択した講義はどれも面白かったとお伝えできる自信があります。
私の学部が存在する目的として、”物事に対して多角的な視点を身につけること”があったのですが、そんな学部での講義の1つ、美学を受講して、今でもふと思い出す言葉・概念があります。
それは、スイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュールが提示した、
「シニフィアン(signifiant)」と「シニフィエ(signifié)」です。
シニフィアン: 音や文字などの「形・器」
シニフィエ: その言葉から脳裏に浮かぶ「概念・イメージ」
例えば「海」という言葉。
ある人は「エメラルドグリーンの水面」を、ある人は「底知れない深海」を想像します。
りんごはどうでしょうか?「赤くて丸い果実」「シャキッとした食感」というイメージは、多くの人で共通しているかもしれません。しかし、そのイメージを指し示す言葉は、必ずしも「りんご」である必要はありません。英語では「apple」と呼ばれるように、音としての言葉は全く別物です。
つまり「言葉と意味は本質的に結びついていない」ということがわかります。
それを言語に落とし込んで体系化したのが、シニフィアンとシニフィエです。
また、このズレを実感しやすい例を絵文字でも挙げます。
私は 🙃 を「おどけていて可愛い」ニュアンスで使っていましたが、欧米では「軽い皮肉」や「冗談めかした絶望」と受け取られることがあります。
同じ形(シニフィアン)でも、受け手の背景によって中身(シニフィエ)が180度変わる。
こうしたズレを面白がり、深掘りすることこそが、私にとっての異文化コミュニケーションの醍醐味です。
ですが、「自分と相手では、同じ言葉でも見ている景色(シニフィエ)が違うかもしれない」という意識を持つことは、たとえ国を越えなくても、日々の人と人とのコミュニケーションにおいて、何より大切なことだと思うのです。
この「意味づけの自由さ」の中で、ときにシニフィエが一方向に「固定されるべきもの」として、社会に浸透してしまっていることもあるなと感じます。
マスメディアはその最たる例です。 ある調査では、日本人の約8割が「マスメディアを信頼している」という結果が出ています。これは、多くの人がメディアの提示する意味づけを、気づかないうちに、そのまま唯一の正解として受け取っている可能性を示唆しています。
「雨」は憂鬱なものなのか、それとも大地への祝福なのか。
「過去の経験」は失敗なのか、それとも貴重なデータなのか。
「豊かさ」は、より多くのモノを所有することなのか。
「正解」は、マジョリティの意見に従うことなのか。
「成功」は、数字や肩書きを積み上げることなのか。
本来は人それぞれの数だけシニフィエが存在しうるはずの言葉が、メディアが繰り返すイメージによって、たったひとつの解釈に閉じられてしまう。それも、私たちが無意識のうちに。
だからこそ大切なのは、「他の意味づけはできないか?」と問い直し、
自分なりに再定義していくこと。
言い換えれば、「世界は自由に再定義できる」、「意味づけ次第でいくらでも変わる」ということ。
文字にすると簡単そうですが、実際には固定概念を壊せない自分もいたり…。
だからこそ、その殻を破ること自体が面白いし、「こんなシニフィエを持ってもいいんだ」と、誰かに新しい見方を提示できる存在でありたいと思っています。
さて、最近はAIの進化が凄まじく、私も感謝感激雨霰!なのですが(笑)
その一方で、彼らにはできないことは何か、と考えることもあります。
AIは過去の蓄積から「平均的な正解」を出したり、
すでに存在しているシニフィアンとシニフィエの関係を再構成することに非常に長けています。
だからこそ、
すでに言語化された意味を整理すること
多くの人に伝わる形に整えること
はとても得意です。
一方で、
「なんでかわからないけど好き」「理由はないけど惹かれる」
といった、まだ意味として確定していない感覚から、新しいシニフィエを立ち上げることは難しいのではないかと思います。
人間は、
五感で受け取り
言葉になる前の違和感や好みを感じ
そこから意味(シニフィエ)を立ち上げていく
呼吸の揺らぎや、なんでかわからないけど緊張してしまう心臓の鼓動の変化。
この“なんでかわからないけど”という段階は、AIが直接扱うことが難しい領域かと。
だから私は、“なんでかわからないけど、次は地中海の光を感じにいきたい”
この「理由のない直感」は、身体を持つ人間にしか生み出せないエネルギーで、まだ言語化されていないシニフィエの源でもあります。
そしてAI時代だからこそ、私たちはもっとこの衝動にフォーカスしてもいいのかもしれないなと、個人的に思っています。
私がブランディングやマーケティングの仕事が楽しいと思うのは、
商品やサービスを「どう見せるか」によって、 受け手の中に立ち上がるシニフィエは変わる。
それは単なる見せ方の工夫ではなく、新しい意味を社会に提示する行為だと思っているからです。
与えられた意味に甘んじるのではなく、 世界を自分なりに再定義していくこと。
その小さな積み重ねが、 自分の見ている世界そのものを変えていくはず。。。
みなさんは、今日目にした言葉に、どんな新しい意味を付け加えてみたいですか?




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